ebrius それは酩酊、酔漢をさす | 酩酊論について

酩酊論がおもしろい!!


酩酊は罪なのか?
そして酩酊に対して各国により様々だ
こと細かにいうと、酒とはもともと神性なものであり、酔うという行為が宗教的意味合いがある。

神人共食における酒宴の要点となるのは、「酒は飲むとも飲まれるべからず」ということではなく、まったく反対に、徹底して飲み、客が酔い倒れるまで飲む・食ませることだった。酩酊者や泥酔者が何人も現れてこそ、酒宴と呼べるものである。洋の東西を問わずにこれが該当するか微妙であるが、ディオニュソ祭の狂躁を考えると、基本的な枠組みとして想定することは可能だろう。だから、人を酔わせる技術が求められ、歌謡などの酒宴の興として重視された。

いわゆる、「酒は飲んでも飲まれるな」についてですが、酒の本質を見れば酩酊はGJ!だと思います。


また、宗教や国には「酩酊寛容論」というものがある
酒を飲めば酔います、それをどこまで許容するのかなぁ〜っというもの
日常性の中に酩酊が入り込んできたことにより様々な移り変わりをみせてきたのだろう


ところで


「今夜は無礼講だ!」という人。たまにいる、大いに結構だ。
この言葉を口にして、この言葉の責任を持った人がいた
彼らがなぜ様々な無礼を許すのか、
忘れていることもあるだろ、
過去に大きな失態と醜態をさらし、打たれ強くなったのだろうか
酒の本質をしっているからなのだろうか


今週末の飲みのつまみはこれでいこうか
俺的な「酩酊寛容論」考えるか


『"酒"を読む』